柳田邦男さんというと、「遠野物語」や民俗学者のイメージが強くてとっつきづらいと思っていたら、それは民俗学者の「柳田国男」。
現代を生きるノンフィクションライターは「柳田邦男」ということについ最近気づいた恥ずかしいヒトです^^;
その柳田邦男さん、先日の新聞の一面に「次男の自死」、それを乗り越えるヒントをくれた絵本「よだかの星」のことを語る記事が載っていて、急に柳田さんの作品を読んでみたくなったのです。
医療系の仕事に就く母は読書家だ。(買ったきりというものも多いけれど!)
偶然にも母の本棚には数冊の柳田邦男の本があり、母が弟の自死をきっかけに引っ張りだしてきた本が「犠牲 サクリファイス」。
「わが息子・脳死の11日」という副題がついているけれど、事故でも病気でもなく、自死により脳死となった息子さんと柳田さんご家族の話でした。
自活するほどの元気も勇気もない柳田さんの次男と、実家が大好きで一人暮らしをするとすぐに滅茶苦茶な生活になっていた弟。
生活の不安もなく学生を続ける次男さんと、働いてはいるものの吝嗇な姉の私には呆れるような金遣いをする弟。
バイトをさせることもなく生活することを容認する柳田さんのご家庭と、食事から掃除洗濯まで面倒を見てしまううちの家庭。
「かわいいじろう、ママの宝」という幼児への愛情表現のようなそれをしてしまう母親と、弟を可愛いあだ名で呼び、交際相手との一切合切を弟と共有していたうちの母。
柳田さんのご次男のように、父親に「アンドロジーナス(雌雄同体)!」という知性の高い罵声(笑)を浴びせることも、脳死や文学について父と息子で語り合う教養こそないけれど、柳田さんとうちの家庭には共通点が多いような気がした。
親から頼られることがないというか何と言うか、家族なのにお客様扱いされている感じなのだ。
「あんたが働いてお金を入れてくれなきゃ、家族はやっていけないよ」…そんな家庭だったら、ターは死ななかったのだろうか。
それはそれで、プレッシャーに圧し潰されて同じ結果になっていたような気がしました。