最近実家に帰ったら、夕食時父から私も母も知らなかった話を聞きました。
まだターが幼稚園に上がるかどうかというときに、駅前の喫茶店に行き、ターにはココアを頼んだそうです。
それが熱いものとは知らないターは、ごくっと飲み込んでしまい大変な騒ぎだったとか。
父は普段、悪いと思っても謝れない不器用さがあるのですが、「あれはターに悪いことしたなあ、お父さんのした一番悪いことだったかもしれない」と素直に謝ってました。
そして、目を真っ赤にしてました。
母も私も、ターの近くにいてくれた友人たちも、最近のターを思い出し、力になれなかったこと、一人で逝かせてしまったことを後悔し、涙していますが、父はターが自分で命を絶ったことを認めず、「その程度だったんだ」と突き放すようなことすら言っていました。
けれども、30年近く昔のよくある失敗を思い出して涙する父を見て、やっぱり表に出さないだけで父の悲しみも母と同じかそれ以上なんだなと思うのでした。
いよいよ私も妊娠後期に入り、沐浴の仕方とか離乳食のことなどを少しずつ勉強するようになってきて、両親に聞くことも増えてきました。すると、私のときはこうだった、ターのときはああだったと昔話にうつっていきます。
どうやら男の子なので、生まれたらきっと、両親はターと重ねて見ることでしょう。
「こうやって手間暇かけたのに」「一生懸命だったのに」そう後悔する気持ちもあるだろうし、孫は孫であって絶対ターの代わりではないけれど、孫を見ることで両親の心が慰められればいいなと思ってます。