確か私が20才くらいのときだったと思いますが、当時私は社会福祉や世界平和にものすごく燃えてました。(今でもその名残はあるけど、当時は妄信的だった^^;)
それで、自分が脳死になったら臓器提供をしてほしいと思い、両親に署名を頼んだら母に猛反対されたことがあります。
「お母さんはやだな…」
と言われました。
母は医療関係の仕事についているので賛成してくれると思っていたので反対されたことは衝撃だった…。
でも、そう言えば生命保険の契約の際、外交員さんが説明に来てくれたときのこと。
「(私が)お亡くなりになった場合は…」という言葉を繰り返したらものすごく不機嫌になっていたことを思い出しました。
仮定であっても子どもの死について冷静でいられない母。
臓器も角膜も提供したらその後もどこかで生き続けられるけれど、そうは考えられずに「ぜーんぶこの子のもの」と言い張る母。
自分の子に固執しすぎ、恥ずかしいとすら思いました。
でも、私も年をとり、子どもはいないけれど人や動物や色んな命に触れていくうちに、少しずつ臓器提供に反対した母の気持ちが分かるようになりました。
そして、ターが亡くなったときに決定的に、母の気持ちと同じになりました。
あのときターがもし脳死だったとしても、臓器提供できるとしても絶対にやらなかったと思います。回復する確率は0.1%以下と言われても、ターの体は全部最後までターに所有してほしかったと思ったはずです。
でも、こんなときちょっと思い出して笑ってしまうことが。
以前、ターと臓器移植の話になったとき、「えーちゃんは全部誰かに使ってもらいたいなあ」と言うと、いつもの皮肉な様子で「お姉ちゃんの内臓とかあんまり丈夫じゃなさそう。灰色にちょんって青い色とかついてそう」と返してきたことがありました。
そんな皮肉な笑い話を、ターとしたいなあと思う毎日です。