先日「どうにも変えられない心貧乏という人種には近寄らない」という内容のことを描きましたが、思い返すと、そしてターのLINEやメモなどを見ると、薄々騙されていることに気づいていても彼女をなんとかしてあげたかったという思いがそこここに現れていました。
ターは亡くなる2週間ほど前、大通りで迷っていた子猫を家に連れ帰ってます。私も動物ボランティアをしていますが、キャパを超えての保護はご法度、とにかくムリはしないが第一と思ってます。
だから、連れ帰ったと聞いて私は「助けて安全な場所に移すだけで十分なのに。それ以上はしょうがないじゃないか」と思ったのですが、ターは放っておけなかったのでしょう。
ひいき目でなく、そんなターの憐み深さが、結果自分を苦しめてしまったのだと思います。
確かに、ターの元交際相手の生い立ちは不憫ではあるけれど、私から見ると、なんでそんな心貧乏に近寄ってしまったんだ、騙されていると思いながら援助したんだよと、ターにもどかしさ、怒りすら覚えます。そして、どうしてこの姉に相談しなかったんだよ、と思うのです。
正直に相談してくれていたら、「そんなん詐欺に決まってんじゃん」と一刀両断した上で、どんな手を使ってでも金を取り戻しに行ってやったのに。
でも、そうじゃなかったのかもしれないなとも、少し思うのです。
もし私に相談してターは目を覚ましてくれたとしても、お金を取り戻したとしても、やっぱり絶望してしまってたかもしれません。
どうやっても救えない人間がいること、そういう世の中でも目をつぶっていかないと生きていけないことに絶望してしまっていたかもしれません。
もっと小ずるくていいから、自分を正当化してでもいいから、生きててほしかった。