有難いことに、子どもが無事生後10か月を迎えました。
離乳食も問題ないどころか保育園で誉められるくらいよく食べ、そして遂につかまり立ちも始まり、病院でも「早産、低体重で生まれたけれど全然問題ないね」といった言葉をかけていただき、安心するとともに嬉しい気持ちでいっぱい!
この嬉しさって何だろうと分解してみると、純粋に子どもが成長している喜びが半分、そして「自分のやってきたことが正解だった」という確信と誇りを持てる喜びがあるような気がしました。
そこでやっぱり、ターのこと、母のことを思い出します。
お世辞半分だったかもしれないけれど、ターの言動を見たご近所さんや先生から「どうやってこんないい子を育てたんですか?」と聞かれることもあったとか。
そのときの母はどんなに誇らしく嬉しかっただろう。
それなのに、こんな看取りをするなんて気の狂わんばかりの悔しさや怒り、何より悲しみや喪失感…どんな言葉をもってしても表せるものじゃないと思います。
母も父も、ターも、誰が悪かったなんてないのに。