こんにちは。
先日の買い物帰り、一人で歩いていたら「うちの家族は問題のない、幸せな家だったからターが生きることを教えるために来てくれたのかもな」なんていう考えがすっと入ってきました。
けれど、そう思うと同時に、それじゃあターがかわいそすぎる、とも思ってしまいました。
ターが亡くなったときに「お母さん、辛いけれど試練だね」と言う人がいました。
わたしは激怒しました。じゃあお前の子ども死んだら同じこと言ってやるよ、と腸が煮えくり返りました。
今日わたしがふと思ったことはその人の発言のようで、自分ごとながら情けないような申し訳ないような気がしましたが…でも、そう思ったときのターの表情は「そうそう、そうなんだよ」という顔をしていた気がします。
もし、そうであれば、ターはやっぱり天寿を立派に全うしたということになるのでしょうか。
善人ならそれで改心して生き方を変えるなんてこともあるのかもしれませんが、善人じゃないわたしは、やっぱり神を呪うしかありません。