懐かしい涙とやるせない涙
自分で死んでしまったということで、警察に遺体を引き渡す可能性もあったのですが、お医者さんが来てくれてその必要はないということになり、葬儀屋さんに連絡をしました。
葬儀場を探すのも気が重い作業なので、15年ほど前に叔父の葬儀をお願いしたところでいいよねという話をし、申し込むと早速葬儀屋さんが来てくれました。
友人の存在も有難かったのですが、この葬儀屋さんも心強かった…。
そりゃ商売だから丁寧で完璧なのは当たり前かもしれないのですが、すべてお任せできるというのはありがたいものです。
同時並行で私は、弟のLINEの履歴を頼りに連絡を取っていた友達の皆さんにご連絡をしていきました。
そこからはずっと友達の皆さんの弔問が続き、20年ぶり、30年ぶりに会う方やお名前だけは聞いていたという方まで続々といらっしゃいました。
弟は少年野球~高校野球をしていたので、弟の友人のお名前や顔、そしてご両親とのつながりも深く、懐かしい方を目の前にするたびに懐かしさと、懐かしい人だからこそ共感できる感情が相まってずっと感情が高ぶっていました。
火葬場
納棺、火葬は家族と親族で行う予定だったのですが、弟は大変重くて人手も必要だったのでM君がまた来てくれて、納棺から出棺を手伝ってくれました。
納棺や火葬場まで行くのは、30年も前の祖父のときが最初で最後でした。
そのときに、「もうこれでおじいちゃんの姿を目で見ることはない」と思うと切なくてやっとおじいちゃんの死というのを実感したことを思い出していました。
なので、今回の弟のときにも納棺の蓋を閉めるときや炉に入っていくときが一番辛いかもしれないと思いましたが、意外にもそんなことはなく、むしろ納棺の蓋を閉めたときには少しほっとしたのでした。
その理由はよく分からないのですが、この遺体がなくなったら弟はどこかにいるかもしれないと思っていられる。夢だったと思える…そんな甘い、淡い期待をしていたのだと思います。
ただ、やっぱり母親はこの炉に入っていくときとお骨となった弟を迎えに行ったときが辛かったようで、でも、取り乱すこともなくしくしくと泣き続けていました。
これまで先に子を亡くした親御さんの姿は何度か目にして心が痛くなりましたが、何もしゃべらずどこにも焦点の合わない目で泣き続けるというあんなに悲しい涙は見たことはありません。
一方私の方は、火葬場の方に「お骨の確認を喪主様ともうお一人お願いします」と言われ、父と母が確認に向かっていく後ろ姿を見送ったときに、ああ私はいつかこうやって一人になるんだなあと思って耐えられない思いでいました。
本当だったら、弟と二人で両親を見送るはずだったのに。
葬儀
葬儀ではやっと私の夫と、夫の両親が来てくれたので、少しだけ気持ちがほぐれました。
けれども、いつも底抜けに明るい義理の父に見たこともない悲痛な顔をさせてしまったことが申し訳ない気持ちでした。
遺族席は両親と私の3席が用意されていましたが、夫も並んでくれて4人で遺族として挨拶をできたことが少しだけ救いでした。
できれば夫には、弟が亡くなったときからずっと隣に居てほしかったのです。
が、仕事もあるし車で1時間ほどかかる距離で猫たちの面倒もお願いしていたので、弟が亡くなった当日の夜だけ、葬儀の間だけでも来てもらえたことは、私だけでなく両親の支えにもなりました。
ところで、人が亡くなると、葬儀まではすごいスピードで過ぎていくものなのですね。お通夜は亡くなった翌日、その次に葬儀とパタパタと日程が決まり、写真選びもこの2日間でしなければならず…同じく家族を自死で亡くした友人が言っていた「アドリブだらけの結婚式」という言葉が正にその通りでした。
その写真なのですが、最近撮ったものはなかったので、6年前の私の結婚式のときのいい顔をした写真を使いました。
この顔が最近見かけないほど満面の笑みで。
弟は嫌がるかもしれなかったのですが、フレームは白、背景はピンク、祭壇に飾る写真は黄色いチューリップの背景を使い、明るく可愛いイメージにしました。
一緒にいた友人のM君が、
「ターはこういう感じだよな」
とこのイメージにお墨付きをくれて、やっぱりそんな明るい装飾がとても似合っていました。
「これが結婚式ならいいのにね」
母と何度もそう話しました。