わたしの家族

私の家族は両親と私、弟の4人家族です。2020年7月、弟が自ら命を絶ち3人になってしまいました。予想だにしなかった形の3人です。「両親よりも先に死んではいけないよね」と兄弟で決めていたことなのに…。私自身の気持ちの整理のために、そして自殺を考える方や自殺遺族様の小さな光になればと思い、このブログを始めました。

救われたもの

月命日から2カ月が過ぎて、少しだけだけど私も家族も弟がいないことを認め始めました。

キュブラーロスの死の受容5段階の最終段階「受容」に到達したのかなと思いつつ、「なんで弟が自死しなきゃいけなかったの!?」「自分がこうしていたら!」という怒りや抑うつに入ることもありますが、それでもちょっと前進した気がします。

ここに来るまで家族のほかにも救いになるものがあったのでご紹介します。

身内を失ったことのある友達とのおしゃべり

そうそう自死で家族を失った人というのはいないのですが、幸運なことにも弟の件を話したら「実は家も…」と打ち明けてくれた友人がいました。

彼女とはもともと仲が良くて、ボランティア仲間でもありよく遊びにいく仲間でもあったけれど、さらに結びつきが強くなった気がします。

また、自死でなくてもご両親や兄弟を亡くした方と話すと、「今はまだ悲しんで後ろ向きでいい時期」「私なんか毎日お墓に行って泣いてた」というように、大切な人を亡くした”その後””立ち直り方”を学ばせてもらえることが多かったです。

身内を亡くした人がその後新しく生きていく姿に励まされました。

一方でなかなか自分の醜い感情を認めたくないのですが…。

友人の中には「両親・兄弟どころか祖母または祖父もまだ健在。明るい未来しかない(ように見える)」という人がいて羨ましく嫉妬してしまうので、申し訳ないけれどそういう友人たちとは距離を置いてしまいました。(今でもちょっと距離を置いてます…💦)

友人は24時間一緒にいてくれるわけではないです。

そして、家族を失った人の一番辛い時間って夜一人でいる時間だったりすることが多いのですよね…。

そんなとき支えになったのが「本」。

本なら24時間一緒にいられます。

弟の後を追いたい気持ちが出てきそうなときには、外出先にはバッグに入れて持ち歩いてお守りのようにしていました。

死は終わりではなく乗り換え地点であること、自死遺族となった苦しみを共感してくれる本や別れの悲しみを癒してくれた本、絶望との付き合い方を教えてくれた本など…何冊か苦しみを軽くしてくれた本があるので、それはまた追ってご紹介します!

ブログ・日記

元から書くことは好きでしたが、このブログやTwitterで吐き出させていただいてます。本当にこれを読んでくださる方やTwitterでいいねやコメントをくれる方には感謝しかありません。

そしてそこにも書くほどでもないときには、自分の手帳に書き込みました。

朝起きてすぐに頭にあることを書くのは脳の排出作業になるので良いことだ、ということは「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本にも書いてあったので、良いことだろうなあという気がしました。

 

名言

「悲しみから人生は始まる」 ―柳田邦男さん

「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」ゲーテ
※お世話になった法律事務所でいただいたパンフに載っていた言葉。

「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」ー聖書
「死をもってこれで”出会った”となるんです」ー友人の葬儀で聞いたお坊さんの言葉

今って名言をネットで「名言 死別」といったキーワードで探すとたくさん出てきますね。

けれども、そうして探した言葉よりも、以前から知っていた言葉がふと頭に下りてきたり、目についた言葉にはっとしたりすることの方が多い気がします。

 

他にも、自然や猫やアロマ、美味しいお茶のような「ふと意識を逸らせることができるもの」も欠かせませんでしたが、とくに今回の悲しみ苦しみの緩和に役立った数々ということで紹介させていただきました。

 

私の体験ですが、必要な方に届いたら嬉しいです。