Facebook経由でたくさんの自分の誕生日祝いをもらったのだけど、苦痛でしょうがなかった。
「ターを亡くしたことも伝えているのに。大事な弟がいないのに。どうせ適当に言ってるんでしょ。誕生日のお知らせでたまたま見かけて、おめでとうって言うんでしょ。ターのときは何も連絡なかったのに」
こんなに腹立たしくて悲しくて虚しい誕生日は初めてだった。
きっとそれはそれ、これはこれという気持ちでみんなおめでとうを言ってくれたのだと思う。
私を励ましてくれようともしたのだと思う。
自分の心が狭くなっていると頭では理解はしたけれど耐えられなかった。
もうこれっきりになる人もいるだろうと思ったけれど、アカウントを停止した。
そうしたら、ある友人がオット経由で「彼女は大丈夫か?」と聞いてくれて、もう一人はわざわざ国際電話をかけてきて心配してくれた。
それとタイミングを同じくして、半年近く連絡をしなかった友人から「ター姐さんの誕生日のある12月に何もしないのは落ち着かなくて」と手紙と小さなプレゼントを贈ってきてくれた。
優しい気持ちに触れると固まっていた気持ちが溶けていく。
ああ、自分は孤立しにいってたんだよなと反省する。
「どうせ弟を亡くした人との気持ちなんて、ましてや自死で亡くした私の気持ちなんてわかるわけない。家族が揃っているあんたになんか分かるわけない。それなら放っておいてくれ。」という気持ちも本心。
だけど、「前のように屈託なく話して笑いたい。今は笑うなんてできないけれど、こんな自分でも気にかけていてほしい」という気持ちも本物。
自死遺族の方全員がこんなじゃないかもしれないけれど、もし周りにいたら「あなたを気にかけてるよ」というメッセージを送ってほしいなと思うし、自分もそうできる人でありたいなと思う。