Twitterに流れてくる自死遺族の方の投稿を見ていたら「記念日反応」という言葉があることを知った。
命日とか、亡くなった人の誕生日にどーんと気持ちが落ち込むものらしい。
なのに、私は自分の誕生日でそれが起きてしまった。
誕生日になった途端、LINEやメッセージをいただいたのだけど、どれも嬉しくない。
ターがこんな状態になってるのに自分だけお祝いされるなんて申し訳ない。
せっかく手間暇かけて伝えてくれたのに、「何がおめでとうだ、家族が自死して数カ月の人間によく言えるな」と悪態をつきたい気持ちにすらなった。
そして、実際ちゃんとした返事は返せなかった。
誕生日の安易な「おめでとう」が、凶器になることもあるなんて言ったら言い過ぎだろうか?
私はそうは思わない。
有難かったのが「手放しでお祝いはできないと思うけれど…」「立ち直ったふりをしないで」という、ターのことを忘れていない方の言葉で、それらはこれまで受けてきたお祝いの言葉で一番心に寄り添ってくれるものだった。
この先、自分の誕生日もお祝い事も心から祝えることなんてないと思う。
でも、まだ生きていかないといけないから、記念日なんて考えずに毎日ちょっと心地よいことやきれいなもの・可愛いもの・美味しいものでごまかしていこう。
所詮人生は暇つぶしだから。
そんなひねくれものの姉の、決意と備忘録でした。