この話、前もしたかもしれませんが、また気になるので書かせていただきます。
以前、家族の中に自死したという人の話を聞いたら、
「借金とかあったのかな?」
「子ども時代、何かトラブルがあったのかな?」
なんてことを思ってました。
周りに自死した人というのがいなかったせいかもしれません。
とにかく、遠い遠い話で、ドラマや漫画の中のことだとばかり思ってました。
そして、そういう作り話の中では、自死するにはそれなりの理由があるという設定が多いのですよね。
でも、実際に大切にされて、友達にも好かれていた私の自慢の弟が自分でいなくなってしまったとき、自死ってはっきりした理由がなくてもしちゃうものなんだって思いました。
確かに、ターには借金がありました。
でも、そんなの家族に話したらなんとかなる程度の金額です。
人間関係もうまくいかなかったようだけど、むしろこっちから願い下げだという人間とのトラブルだったので、「離れられてむしろ良かったじゃん」というレベル。
だから一体、なんで?なんで?なんで死ぬことがあるの?
家族もターの友達も「なんで」で一杯になりました。
すごく意地悪な見方なのだけど、ターの自死の話をすると、「それは大変だったね、何かあったんだね」という反応をくれた友人が少なからずいました。
いや、ほぼ全員です。
そんな友人たちを見て、だめだ、全然届いてないと思いました。
「あなたの兄弟や、子どもさんが自死するかもしれないよ」と、喉元まで出かけたけれど、きっと、私も当事者にならなければ、そんな話をもちかけられても同じ反応だったと思うので、そこまでは言えなかったのですが…。
いまも心底思います。
ターが自死を決めた前日に戻りたいって。
「変なこと考えてないよね?」
その一言を伝えていられたら、ターは思いとどまったかもしれないのにって。
ター、そんなことになるなんて、思いもしなかったよ。
そんなことを考えながら、ターとのLINEを遡っていったら久々に号泣してしまいました。
はー、何やってんだか。
でも、最近いつの間にか泣いていることが少なくなってきたので、こうやって涙を絞り出すような行為は回復のために必要なこと。
なのかな?!