叔父が亡くなり、ターのときよりコロナの状況がひどくなってるので家族葬というこぢんまりしたセレモニーをしました。
小さいけれど、しっかりお別れできて、そして良いお坊さんとのご縁をいただけました。
興禅寺というお寺のお坊さんのお話です。
師匠さんがちょっと苦しいということで病院に行ったら、即入院となり、それからわずか5日で帰らぬ人となったそうです。
でも、たった5日ですが、髪が伸びていた。
そこで、そのお坊さんがお髪を剃っていたら手が師匠の死を実感し、涙がこぼれ、やっと亡くなったことが現実になり、泣きながら剃髪されたのだそうです。
そして納骨をしてお墓参りをしていると、師匠の声が聞こえてくるときがあるそうです。
「いずれはお前も髪を剃られることになる。そのときまで笑って生きるのか怒りながら生きるのか、よく考えなさい」
ターを亡くしてから、もう楽しいことなんてないし、誕生日も正月も、もし自分の子どもが生まれたとしても何もめでたくなんてないと思っていました。
上からどんなに色を重ねても、ターの死はずっと残ってしまうものだと思ってました。
実際、そうなのかもしれない。
ターのことも、自死してしまったことも忘れることなんてできないから。
だけど、「ターは自死してしまった」と嘆いたままでいいのか?という想いが出てきました。
事実は事実として受け止めながら、色を重ねて添えていけばそれもまた私の生き方になるのかもしれない。
また、お坊さんは叔父の戒名に入れた「雪」の意味も教えてくれました。
「雪なんてもうなくならないかな、早く消えないかなと思いながら過ごされる方も多いと思います。
でも、雪はなくなるもの、消えるものではありません。雪は水となり水蒸気となり、形を変えていくものです。
魂もそれと一緒だと私は思っています」
ターや叔父さんを見ることも話すこともできないけれど、どこかにいるんだなという想いが強くなりました。
心のきれいな人は、亡き人の存在を感じながら生きていこうとするかもしれませんが、私はそうじゃないので(笑)
「よし、じゃあ水蒸気となったターや叔父ちゃんの声を聴くために修行してみっか」などと思ってしまいました^^;
とりあえず、瞑想から始めてみようかな、うん!