「いのちの電話」というのがあるけれどなかなかつながらず問題視されているというニュースを聞いた。
死を望む人がそんなところに思い返すように電話するとは思えないけれど、そうなる前に相談できるところがあるというのはいいことなのかもしれない。
「赤の他人だから言えることもあるだろうしね」
と夫が言うのを聞いて、そうか、一理あるなあと思った。
それは正に自分の姿だった。
このブログやTwitterは毎日のように発信・更新してしまうけれど、ごくごく一部の人を除いて面と向かって友人知人に言うことはできずにいる。
「いつでも電話して」という言葉に感謝しつつも、自死どころか家族を亡くしたことのない人に話したところで何になる。
私はターのこと以外話したくないくらいなのに、そんな話をずっと聞いてくれる訳ないよ。
友人たちをうんざりさせたくない。
そんな嫉妬と遠慮もあって、気を使ってくれた友人にも連絡ができない。
こちらから連絡をしないと、向こうも何と言っていいか分からないのだろう。
分かってはいるし、そうさせてしまったのは自分に原因があるのに、これまで頻繁に連絡していた友人たちからぱたりと連絡がこなくなると、「誰も気にかけてくれないんだ」と感じて寂しくなる。
先日参加させてもらった自死遺族の会で、こんな意見を聞いた。
「勝手な意見だとは思うけれど、寂しかった。身内を自死で亡くした自分のことを、周りの人に気にかけてほしかった」
今の私の心境はその方と同じ感じなのだろう。
そう言えば、ターもあの日の数日前に父や母のところに行って何か話したそうにしていたそうだ。
そしてあの日の前日は、両親とも「そっとしといてやろう」という善意で、部屋にこもりっきりのターの様子を見ることもなかったという。
色んな方と会ったり意見をうかがったりすると、とにかく放っておいて欲しい人もいるようなので一概には言えない。
けれど、考えたくないけれどもし私の友達が私のような状況になったらすぐ会いに行こうと思っている。
気にかけてもらえなかったと思って心の穴が空くよりは、おせっかいだなあと思ってイラっとする方がまだ生きる力が出ると思うから。