ターが亡くなって2カ月くらいはハイテンションで友人知人に連絡を取りまくっていたけれど、4カ月を過ぎた頃から衝撃や怒りが去り、悲しさ・寂しさが残った。
そうすると、友人に弟を亡くした自分の気持ちなんか分かるわけないよなあと思うようになった。
ターの5回目の月命日は私の誕生日だったのだけど、手放しのお祝いの言葉なんてよくかけられるものだなとすら思った。
でも、私だって当事者となるまでは分からなくて、家族や配偶者を亡くした友人は心底辛いんだろうと思い、お線香を送ったりしながらも、3カ月もすれば「少しは落ち着いたかな」なんて思っていた。
だから友人を責めるつもりも責める資格もないのだけど、何年付き合いがあっても分かってもらえない人は分かってもらえないということが分かった。
仕方ないやと思って諦めて、シャットダウンしてしまった。
ところが、最近立て続けに
「よく考えたら誕生日にお祝いの言葉を贈ってしまったけれどそんな気持ちになれなかったよね、ごめんね」
「ゆーちゃんが生まれてなかったらター君も生まれてなかったかもしれないなんて思ったらお祝いしたくなって」
と、友人たちから連絡をもらった。
シャットダウンしてしまったことが恥ずかしくなり、私からもお詫びをしたら、「それでゆーちゃんの心が守られるなら全然いいと思う。外に気を遣う必要はないよ」と言われてますます自分が小さい存在に思えた。
それでも正直、やっぱり彼女たちには分からないよなとも思う。
もうシャットダウンはしないけれど、かといって今すぐ前と同じように友達と付き合うのは難しい。
だけど、今回の友人たちから連絡をもらったおかげで「20年以上仲良くしてくれた友人だったのにな」というもやもやがなくなった。
私と同じような立場の友人が言ってくれた
「親兄弟を亡くした30代ってまだ少数だから。また10年20年後に今までと同じ関係になれるのかもしれないですね」
という言葉が、少しだけ将来に希望をもたせてくれる。
ものすごく周りに甘えさせてもらっているこの環境が、ひたすら有難い。