朝起きてから仕事中も、夫が帰宅するまでずっとラジオをつけっぱなしにしている。
ターには「おねーちゃん、ラジオ好きってなんか暗いねえ」なんて呆れられたこともあったけれど、ラジオ好きは高校生の頃から。もうこのラジオ習慣はやめられない。
音楽を聞くという行為は自分の世界に閉じこもった感じがして寂しいけれど、ラジオはリスナーとパーソナリティのリアルタイムのやり取りが楽しい。
職場や電車で誰かが話しているのを聞かせて貰っているような楽しみがある。
テレビと違ってやり取りを楽しむというラジオのシステムが大好きで、ときには投稿なんかもして、読まれると「おー、読まれた~」なんて小さな喜びを感じて楽しんでいた。
けれど、ターがいなくなってからは、ラジオってこんなにつまらないっけと思うようになってしまった。
孫がどうの、ペットがどうの、職場の人間関係がどうの…
つい数カ月前まで自分も「そっち側」にいたのに、ターがいなくなってからラジオが遠い世界になってしまった。
こんなことを言ってはいけないけれど、生死のことがあってもせいぜい両親やおじいちゃんおばあちゃんのことがほとんどで、ああ、みんな幸せなんだろうなと、僻んでしまう。
人生相談コーナー以外で「逆縁で苦しんでます」「身内が自分で死んでしまって辛いです」なんて話は聞いたことがない。
「普通の人生を送って、年をして死んでいく」…一見当たり前の流れに乗れた人達が楽しむものなんだなと思ってしまう。
ラジオに自分の居場所はもうないな、と思ってしまった。
でも無音は寂しいし、テレビはもっとつまらないので、今日もラジオをつけた。
あと何年かかるか分からないけれど、「大好きな弟の自死という辛いことはあったけれど、生き続けてよかった」なんて投稿ができるまで回復できたらいいなあなんて思っている。