自死遺族になって初めてのお正月。
うちは家族揃ってのお年とりやお正月の行事を大事にする家だったので、一人欠けたお正月がどうなるか不安で仕方なかったのですが、
「今年は大変だったね」
という父の言葉で乾杯をし、とくに涙することもなくお年取りができました。
大晦日には坊さんが来てお経をあげていってくれたのですが、お経を聞いて涙する父を気遣う言葉もない坊主を見てたら、形式上訪問してくれる程度の坊主なら来ないでいいのにな~と思ってしまった💦
私の代になったらぜってーこの寺解雇してやる(解雇っていうのかな?)と静かに炎を燃やしております(笑)
いつもは紅白なんて見ないけれど、実家というのはNHKが点いてることが多いですね。
そこでぼーっと聞いていたら、YOSHIKIさんが歌う前に流れたコメントにはっとしました。
つらい年だったね、みんな大変だったね。苦しんでいる人たちのことを思うと心が痛い。アーティストとして、人として、みんなの心の傷が少しでも癒えるように、終わらない愛を尊敬する仲間たちと一緒に奏でようと思います。みんなも一緒に歌ってね。そして、これからも一緒に頑張ろうね。
きっとコロナ関連に対することへのメッセージだと思うのですが、彼もお父様を亡くした自死遺族ということを思うと、自死遺族に向けたメッセージにも聞こえてきました。
去年の今頃は「自死遺族」「縊死」なんて言葉すら知りませんでした。
70を過ぎた父がいるので「家族4人一緒過ごせるのはあとどのくらいかなあ」なんて思ってはいたけれど、まさか家族最年少のターが一番先に、そしてこんな方法でいなくなるなんて。
お正月のお祝いムード、辛いものですね。
みんなに知らせているので年賀状は来ないけれど、職場関係からLINEで「あけましておめでとう」の挨拶がきて、意地悪く「先にお伝えした通り喪中のため失礼します。今年もよろしくお願いします」と返信してしまいました💦
来年からも、もう年賀状はきっぱりやめます。
その分「手紙」はまめに書いているので郵政さん、許してね。
お正月もやっぱりTwitterや自死遺族のブログに何度もお邪魔してしまいました。
こういう仲間がいるって悲しいことですが、一人じゃない、家だけじゃないと思って救われます。
ありがとうございます。