読むものの9割が死に関するものになったけれど、映画でもやっぱり「死」が気になってしまう。
死を扱う映画は多いけれど、とくに邦画で自死をテーマにしたものは少ないようで、「自死 映画」「自殺 映画」と検索するとすぐに「鈴木家の嘘」という映画がヒットした。
もともと映画にあまり詳しくないので、この映画のことも監督のことも存じ上げなかったけれど、野尻克己監督のお兄さんもまたこの映画同様引きこもりから自死をされてしまったらしい。
遺された家族は自死した家族について推測しかできない。
それぞれがああではないか、こうではないか、こうすればよかったああすればよかったと毎日毎日毎秒毎秒思う。
答えは出ないと分かっていてもずっとずっと考えてしまう。
それはこの「鈴木家」も一緒だった。
けれどもやっぱりうちとは違う。
そりゃそうだ、自死遺族とひとくくりに言ったところで背景はそれぞれの家庭があるのだから。
私はどうにも埋まらないスキマを埋める言葉や考え方を求めて、映画や本を求めてしまうけれど、この映画からはそんなに大きな収穫はなかった。
とはいえ、収穫がゼロだったわけではない。
「~してあげればよかった」「~だったらよかった」と母親が呟き、最後に「…産まなきゃよかった」というところはまさに私の家庭でも聞き覚えのある言葉で、そうか母親というのはそこまで思ってしまうんだな、と思った。
この「そうか」「同じなんだ」が、自死遺族にとってどれだけ意味があることか。
「そうだったんだ!」「すっきりした」なんてことはなかったし、自死からスタートするストーリーがハッピーエンドなはずはなく見た後にすっきりもしないけれど、共感できるシーンが各所にあった。
そして、この鈴木家の場合は兄が引きこもりということで妹と仲が悪いのだけど、うちの場合はターは普通に働いていたし一緒に旅行したり食事に行くほどに仲の良い兄弟だったので、最後までずっと仲の良い兄弟だった。
この感じ方が人として正しいかは分からないけれど、最後まで仲の良い兄弟でいられたことはまだ幸せだったかもしれないと思うと、少し救いになる。
鑑賞後、”イブちゃん”などちょっとわからないところがあったのでネットで検索もしてみたら、結構コメントが入っていた。
やっぱり自死ってみんな気になるテーマなのだろうか。
ただそこで、「結局誰が悪かったのか」のような考察をし、評論家気取りしているコメントやサイトがあって腹立たしくなった。
監督も犯人探しは無意味だとと訴えるためにつくったところもあるのだと思うのだから、論点からしておかしい、ナンセンスだ。
最近の俳優さんや女優さんの自死だって突然でまさかという方ばかりで、周りは茫然とするばかりだ。
自死の理由は本人にも分からないパターンも多く、ましてや家族や友人など周りの人になんて分かるはずがない。
「仕事が多忙すぎたとか孤独だったとか金銭トラブルとか色々あると思うけれど、その全部をもってしても、まさか自分で命を絶つなんて大それたことをするなんて、自分の人生に自死が関わってくるなんて思わなかった」。
自死というのは、そういうものなのだから。
自死のシーンや母親がなんとか救出しようと半狂乱になるシーンなど辛いところもあるので、あまり強くはお勧めできないけれど、気になる方はご覧ください。
いまなら(2020年9月現在)アマゾンプライムで見られます。