お彼岸の最終日に、半年ぶりかもっと久々のお墓参りに行ってきた。
父はちょいちょい墓参り、お寺への参拝をしているので母と2人で訪問。
「本当ならターが行かないといけないのに」
ターの愛用していたリュックに荷物を詰めて、2人で往復20分ちょっとの道をとぼとぼと歩いていった。
いつもなら、「おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、いつもありがとう。見守っていてください」とお参りするけれど、ターが亡くなってからは「いつもありがとうございます」になってしまった。
母も、毎朝の仏壇へのお参りはごく簡素なものになってしまったという。
ご先祖様への感謝はあるけれど、どうしてターを止めてくれなかったのか、戻れと言ってくれなかったのかと思い、お参りも雑になってしまう。
毎月1日には神棚に仏壇にお参りをしていたのにこんなことになってしまうなんてと紙も仏も呪いたくもなるというものだ。
もうこれまでやっていた善いと言われる習慣も人への親切も、もうどうでもよくなってしまう。
それでもお墓を磨いてお参りをして、歩いて帰ってくると気分がいくらかすっきりした。
ガラスの器に注いだ紅茶がきれいだったことも、救い。