前もそうだったのだけど、施設で看護師として働く母の仕事の仕方がおかしい。
必要書類が処分されていたとかでその作り直しがあるらしく、7日間連続勤務。
そもそもどっかのアホが処分してしまったという尻ぬぐいのために、なんで母が駆り出されるんだと怒ったら、
「でも、お母さんが頑張るしかないから」
とのこと。
書類作成をしながら看護師としての業務をこなさないとならず、しかも医療知識のないスタッフはとんちんかんな対応にも苦戦しているようだ。
血圧が上がってしまった入居者さんの対応を引き継ぎしていったにもかかわらず、必要な対処をしていなかったので母が怒ったら、「そうやって怒るとみんなに嫌われるよ」などと言われたらしい。
人の命がかかってることでも「怒らず仲良くやりましょうや」という頭がお花畑の人間が施設にいるなんて恐ろしい。
もちろんこれは、母から聞いたことなので主観が入っているだろうし、母の言い方もきつかったのかもしれない。
とはいえ、7日間連続勤務をさせる施設も、書類を処分してしまったり入居者さんの健康を考えないスタッフの無能さは「おかしい」レベルだと思う。
けれども母は、「一人でも頑張れば」「自分が頑張れば分かってくれるかもしれない」の精神のもと頑張ってしまう。
私が高校生のとき、担任から通知表で「自己犠牲の精神が強くて人のやらない仕事もやってくれる」というコメントをもらったことがあった。
「いい加減は、いい加減」をモットーとする担任の精神を知っているから、私にはそのコメントは素直に受け止められなかった。
というか、ちょっと侮辱のように感じてしまった。
それ以来自分の自己犠牲と言われた気質を見直し、背景にある自信のない自分・抑圧された自分の存在に気付いた。
「自己犠牲」って美談のように語られるけれど、犠牲という言葉が入っているせいかそこに隠れている切ない気持ちが見えてしまって、悲しすぎて、私は好きじゃない。
後から分かったことだけど、弟はとくに交際相手にはこれでもかという自己犠牲を払っていたようだ。ドタキャンされても、男性には買いにくい買い物を頼まれても、連絡を無視されても我慢してしまっていた。
もっと自分をないがしろにされたこと、プライドを傷つけられたことに怒ってほしかった。
自分に価値があることをもっと自覚してほしかった。
「全部相手がいけない、自分は悪くない!」くらい言える図太さがあればよかったのに、ターは純粋すぎちゃったんだな。