ターの日記の一番後ろのページに、「遺書」と書かれたページがあった。
「やりたいことをさせてもらえて、いい人と出会えて自分は恵まれている。でも、もっともっとと思ってしまうし、人と比べてしまう。そんな自分が嫌いだ」
そんな内容が書かれていた。
恐らく5年ほど前のものだと思う。
というのも、後になってターの友人から、「交際相手と別れたときにベルトで首を吊ろうとして苦しくてだめだったよ」と笑い話にしていたということを聞いたことから、なんとなくあのときだろうと予測できる。
「ターさんは、交際相手がいるときはその人のことで頭がいっぱいになっちゃうみたいだから…こうなるかもしれないって気づけばよかった」
ターが亡くなったと聞いたその日に駆けつけてくれた友人の一人は、そう言ってくれた。
ターが亡くなったのは35歳という年齢だ。
35歳と言えば平均寿命の半分にも満たなくて、ここから喜びもあっただろうけれど、仕事のことや親がいなくなったり家族がいなくなったりと大変なこともあったはずだ。
仮に結婚できたとしても、買い物依存のあったターのことだから、順風満帆というわけにもいかなかったかもしれない。
その度に「死にたい」と思っていたのなら…
まだ親も兄弟も元気で、仕事も転職を繰り返した末ようやく落ち着いてきたこの時にさいごを迎えられたのは悪いことではなかったのかもしれない。
そう思ってはみたけれど、そのあとすぐ、こんな夢を見た。
ターが失恋したと聞いたところで、私が「そう言えば昔遺書を書いてたくらいだから、今回は気を付けて見てないと。家族や友達にも伝えに行こう」と思う…という夢だ。
「これでよかった」と思う気持ちと、そうであってほしいと思い込みたい気持ちは、まだ入り混じっている。