仕事の発注元さんからお褒めの言葉をいただいた。
人間は褒め言葉をもらうというのは金銭をもらうのと同等かそれ以上の価値があると認識されるらしい。
好きなこととはいえ、苦労して作業したことや作品が評価されるのは自分の存在を認められた感じがしてやっぱり嬉しい。
そんなことがあると以前はただただ「嬉しい」それだけだったけれど、最近はターに申し訳ない気持ちになる。
ターは職場の人には恵まれていたとはいえ、ため息をつきながら仕事に向かうことも多かったようだ。
それなのに、自分はちょっと運が良かっただけでこうして好きなことを仕事にして楽しく働いている。
せめてこの仕事の楽しさを感じていたら、ターは生きていられたかもしれないのに。
そう言えば、ターがこんなことになるもっと前にふと自分の「どーにでもなるわい」という若干投げやりで小さいことでも喜べるこの気質を、ターに分けられたらいいのにと思ったことがあった。
子どもの頃は真逆で、ターは楽しそうで羨ましくて仕方なかったのに、どうして入れ替わったように正反対になってしまったのだろう。
ターが幸せなときは自分は苦しいことが多くて、ターが苦しいときは自分は楽しく生きていたような気がする。
ターと私はどちらか片方しか生きられないようにできていたんじゃないか?
私がこんな丈夫じゃなくて、もっと前に病気や事故で死んでいたらターは生きられたんじゃないか?
バカバカしいとは分かっていても、そんな考えが頭をもたげてしまうようになり、そんなバカげた考えを払拭できずにいる。
これも罪悪感の一種なのだろうか。