Twitterでつながりのある方のツイートで「旦那さんを亡くした友人の付き添いに行ったら…」という一文がありました。
私は効率的じゃないものが嫌いなので、これまでずっと「何もできない子供とか、事故の可能性がある高齢者ならともかく付き添いって意味あるのかなあ」と思ってました。
けれど、ターを亡くしてから「付き添ってくれる」「ただ一緒にいてくれる」人の有難さを実感しています。
ターがいなくなってから、堂々巡りの会話とか、愚痴とか付き添いとか…無意味・無駄に見えるものの意味が分かるようになりました。
今後誰かが私と同じような状態になったら、無駄そうに見えても付き添ったり一緒に過ごしたりしたい。
これが、今年のというかこれからの私の小さな決意です。