わたしの家族

私の家族は両親と私、弟の4人家族です。2020年7月、弟が自ら命を絶ち3人になってしまいました。予想だにしなかった形の3人です。「両親よりも先に死んではいけないよね」と兄弟で決めていたことなのに…。私自身の気持ちの整理のために、そして自殺を考える方や自殺遺族様の小さな光になればと思い、このブログを始めました。

両親には言えないこと

前にもちらっと書いたかもしれませんが、うちの両親は過保護です。
有難くその過保護を享受している自分が言える分際ではないのですが、あえて言いたいと思い、今日のブログを書いてます。
(長文になります💦)

実家暮らしだったター。
ターが朝起きてきたら父はお風呂のスイッチを入れ、母はご飯や着替えの用意をしてさらにお弁当まで持たせてくれて、30を過ぎてもそれが当たり前になってました。

ターもそれに甘えて実家暮らしなのに食費すら入れないこともあったり、さらには最近歯が悪くなったのは小さいころにジュースを飲ませたからだと言って治療費をもらったり、車が必要だと言って買ってもらったり…

経済的にそういうことができたのはありがたいことです。
が、あまりにも度が過ぎていて、そんな様子を見ては「Spoil(甘やかしてだめにする)」という、英単語がよく浮かんできました。(私はあまり英語はできないのですが、Spoilは日本語の”甘やかす”よりも”だめにする”意味合いが強い気がしてたからでしょうか…)

家を離れるとその様子が客観的に見えます。
結婚して家を出た私の立場から、ターには「もう30過ぎなんだから両親を看るのが筋」、両親には「ターも社会人なんだからもうちょっと自立させないと」と言いましたが30年以上も、生まれたときから過保護に、王様のように育てられ・育ててきた環境は変わるものではありませんでした。
また、両親ともターをかわいがる気持ちがあったのは事実。ですが、「ターは怒ると大変だから」という理由も甘やかしの背景にあったこともわかりました。

ターは本当に命を絶ってしまう数年前にも一度遺書を書いていたことがありました。
そこには「人にも経済的にも恵まれた環境だったと思うけれど、もっともっとと思ってしまう。そんな自分が嫌でたまらない」という思いをつづっていました。

ターのために、子どものためにと身を粉にしてくれた両親にはターも私も感謝しかありません。ですが、ターの「もっともっとと思ってしまう」ことと、両親がターの欲求のままに動いてくれたことには関連がないとは言えないと思うのです。
欲しいものや環境を与えるんじゃなくて、ときにはできない・やらないと突き放したり、自立を促したりする行動が必要だったんじゃないかと思うのです。さらに言えば、ターは怒ったら大変と言ってしまわず、本気でぶつかることも必要だったのかなとも…ただ、それはもう成人する前にやらなければいけないことだった気もします。
とくになんでもやる前から諦めてしまう気質の父には、もっとターと語り合ったり喧嘩したりしてほしかった、家の秩序を教えてやってほしかったと思います。

 

ターが自分の命を絶ってしまった原因が両親にあるわけではありません。
だけど、問題があったときに自力で解決したり、考え方を変えたりできる力があったりすれば、そういう力を昔から養っていたなら、違う結果になっていたかなと思うことがあります。

だけど、うちの両親は家族の欲目なく人から好かれている善良の塊みたいな人たちなんです。それだけは注釈として書かせてください。

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