ターが自死したと聞いたとき、警察の方に「他殺の可能性はないですか?絶対に?」と詰問してしまいました。
今でこそ他殺ならではの苦しみというのはあるとわかるのですが、あの時はもう自殺ということを認めたくなかった…というのも、自殺だったらずっと「なんでどうして」と考えないといけないことを直感してたからだと思います。
実際その通りで、2年が過ぎた今でも「なんで生きられなかったのか」「どうしてあのとき声かけなかったのか」と疑問や自分たちを責める気持ちがずっと続いてます。
最近どこかで「自殺しても苦しみを遺族に転嫁するだけ」という言葉を見かけました。
本当にその通りで、ターの苦しみは残された私たち家族3人が背負っています。
いまターから、「皆には悪いけれどもういまは幸せしかないよ!」と聞けたらこの苦しみも耐えられただろうに、もうターの声が聞けないんだから、ますます苦しくなるばかりです。
お盆なんだから、何か言いに来てくれたらいいのに。