わたしの家族

私の家族は両親と私、弟の4人家族です。2020年7月、弟が自ら命を絶ち3人になってしまいました。予想だにしなかった形の3人です。「両親よりも先に死んではいけないよね」と兄弟で決めていたことなのに…。私自身の気持ちの整理のために、そして自殺を考える方や自殺遺族様の小さな光になればと思い、このブログを始めました。

人生のピーク

ターがよく言っていたのは、

「自分のピークは幼稚園から小学校だと思う」

ということ。

ターの幼馴染の言葉を借りれば、彼は「優しいジャイアン」!!

つまり、ガキ大将でクラスの中心。

それでいて頭も良く、クラスのまとめ役でもあったので先生からも好かれていた。

クラスの担任の先生から母親が呼び出されて「東大にも行けますよ、このまま伸ばしてやってください」と言われたり、作文を読み上げられたりしたこともあり、まさに輝かしい時代だった。

 

音楽会や学芸会のときにはいつも新しい服を着せてもらい、お弁当のフルーツは別添えで、冷凍食品が珍しくて羨ましいと思うほど手間暇かけられたお弁当。

周りに「ターの弁当って美味そうだな!」といつも言われていたとちょっと得意げだったらしい。

母は料理好きでパン教室にも通っていて、凝ったパンやティラミスなどのその時代の最先端ともいえるデザートを作ってくれた。

 

ご近所のお宅で遊ばせてもらって午後4時半の鐘が鳴ると「時間なので帰ります。おじゃましました」と言う弟に、

「どうやったらこんないい子が育つの?」

「子どもが生まれたらこのお家のように育てたい」

と褒められたという話も聞いたことがある。

 

夕方6時には帰宅する父を、兄弟で迎えに行ったこともあった。

父は残業がほとんどなく、母もほぼ専業主婦時代が長かったため、毎日4人で夕飯を食べて、土日は庭でバドミントンをしたり、年に2度くらいは旅行にも連れていってもらったりしていた。

 

兄弟揃って習ったものはスイミングにお習字。

私はピアノを習う一方で、弟はスポーツに専念して相撲を皮切りに高校まで10年以上も野球を続けさせてもらっていた。

大学も、それぞれ親元を離れて私大に進ませてもらった。

何不自由なく育てられた子供時代だった。

 

自分で命を絶つ人というのは、子どもの頃に愛情不足を感じていたとか、経済的な悩みがあるとか、芸術家のような感受性のある人とか、何か特別な人だと思っていた。

だから、こんなに普通の完璧とも思える4人家族に自死が起こるなんて思ってもみなかった。

祖父母から順番に見送ってきて、でも両親の番までにはまだ時間があるだろうから、このままあと数年は4人の完璧な家族の形が過ごせると思っていたよ。

 

「自分たちが先に死んだら、お母さん気が狂っちゃうよね」って兄弟で言い合っていたのに。

幸せな子ども時代も、家族や友達も抑止力にならなかった。

 

生きてたら、これまで予想もしないくらい幸せなことがあったかもしれないよ?

いや、なかったとしても、それが普通なんだから。

ターが小さいときに感じた人生のピークは本物だったのかなあ?

それを大人になっても求めても、幸せはやってこないことに気づいて欲しかったなあ。

 

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