ターがよく言っていたのは、
「自分のピークは幼稚園から小学校だと思う」
ということ。
ターの幼馴染の言葉を借りれば、彼は「優しいジャイアン」!!
つまり、ガキ大将でクラスの中心。
それでいて頭も良く、クラスのまとめ役でもあったので先生からも好かれていた。
クラスの担任の先生から母親が呼び出されて「東大にも行けますよ、このまま伸ばしてやってください」と言われたり、作文を読み上げられたりしたこともあり、まさに輝かしい時代だった。
音楽会や学芸会のときにはいつも新しい服を着せてもらい、お弁当のフルーツは別添えで、冷凍食品が珍しくて羨ましいと思うほど手間暇かけられたお弁当。
周りに「ターの弁当って美味そうだな!」といつも言われていたとちょっと得意げだったらしい。
母は料理好きでパン教室にも通っていて、凝ったパンやティラミスなどのその時代の最先端ともいえるデザートを作ってくれた。
ご近所のお宅で遊ばせてもらって午後4時半の鐘が鳴ると「時間なので帰ります。おじゃましました」と言う弟に、
「どうやったらこんないい子が育つの?」
「子どもが生まれたらこのお家のように育てたい」
と褒められたという話も聞いたことがある。
夕方6時には帰宅する父を、兄弟で迎えに行ったこともあった。
父は残業がほとんどなく、母もほぼ専業主婦時代が長かったため、毎日4人で夕飯を食べて、土日は庭でバドミントンをしたり、年に2度くらいは旅行にも連れていってもらったりしていた。
兄弟揃って習ったものはスイミングにお習字。
私はピアノを習う一方で、弟はスポーツに専念して相撲を皮切りに高校まで10年以上も野球を続けさせてもらっていた。
大学も、それぞれ親元を離れて私大に進ませてもらった。
何不自由なく育てられた子供時代だった。
自分で命を絶つ人というのは、子どもの頃に愛情不足を感じていたとか、経済的な悩みがあるとか、芸術家のような感受性のある人とか、何か特別な人だと思っていた。
だから、こんなに普通の完璧とも思える4人家族に自死が起こるなんて思ってもみなかった。
祖父母から順番に見送ってきて、でも両親の番までにはまだ時間があるだろうから、このままあと数年は4人の完璧な家族の形が過ごせると思っていたよ。
「自分たちが先に死んだら、お母さん気が狂っちゃうよね」って兄弟で言い合っていたのに。
幸せな子ども時代も、家族や友達も抑止力にならなかった。
生きてたら、これまで予想もしないくらい幸せなことがあったかもしれないよ?
いや、なかったとしても、それが普通なんだから。
ターが小さいときに感じた人生のピークは本物だったのかなあ?
それを大人になっても求めても、幸せはやってこないことに気づいて欲しかったなあ。